第一回 ウォーター選手権
今日からしばらくの間、ウォーター選手権の模様を報告します♪
ウォーター選手権とは・・・
国産から外国産までのあらゆる飲料水を独自の観点と勝手な好みで争わせ、
「優勝水」を決めてしまおうというもの!
まず、今日はその第一回大会の出場水の紹介です。

エントリーされた10本の飲料水をズラッと並べてみました。

上段5本
左から
サントリー 南アルプスの天然水
日田天領水
サントリー 100%深層水
南日本酪農 屋久島の縄文水
岩泉 龍泉洞の水

下段5本
左から
クリスタルカイザー
アイスランド スプリング
ミズタエンターP ロケッタ ナチュラル
飲む温泉水 天水翔
砂漠の湧き水
勝敗方法としては、
はじめにランダムに1つ選び、
それと次の選んだ水を飲み比べてどちらがおいしい(飲みやすい)かで決めていきます!
ちなみに、僕は普段あまり飲料水は飲まない方で、お茶やコーヒー、紅茶の方がよく飲みます。
なので、その僕が飲みやすいと感じた「水」は相当?飲みやすいかもしれません。
※なお、このブログでの「水」に対する批評・コメントはあくまでも個人的な意見です。
また、各飲料水の成分などに関しての詳細にはお答えできませんのでご了承ください。
I LOVE YOU
恋愛GAMEを中止して 1人もいいもんだと言いながら
街で見かけたイイ女を 遠巻きに眺めてたりする
体裁ばっか気になって 声もロクにかけらんない
この臆病でサビかけた 恋心は誰の手に堕ちる?
素直なままの心臓は 変わらず高鳴ってるのに
昔のように簡単に 身体も声も重ねられない
大人になった証か? 紳士に近づけたからか?
それとも記憶の重さに 臆病で踏み出せないだけ?
なんだかヤケに寂しいんだ なんだかヤケに焦るんだ
そりゃこんな日もあるだろうが このまま家に帰りたくない
いつか俺も言えるかなぁ いつか君に届くかなぁ
2人だけの小さな 心からの Baby I love you
※生まれて初めて詩の中に「I LOVE YOU」という言葉を使ってみました。
この言葉と「愛してる」という言葉は、自分にはまだなんか重すぎてうまく使える自信がなかったのですが、
今でもなんかこんな形だったら素直に使えるかな?と思って、使ってみました。
キレイな詩とは程遠い、むしろ独り言のような感じですが、読んでやってください^^
サッカー東アジア選手権 日本対中国
ラフプレーに始まりラフプレーに終わった。
今日、サッカー東アジア選手権の日本対中国の一戦が行われた。
結果は日本の1対0の勝利に終わったものの、
終始ホームである中国側のラフプレー、主審の明らかな偏ったジャッジング、
日の丸の旗を中国サポーターが燃やすなどの行為に苦しめられたゲームだったが、
日本の選手達は本当に辛抱強く最後まで耐え抜き自分たちのサッカーを押し通して、
貴重な勝利を挙げて、僕らに勇気をくれた。
もちろん、中国の選手もサポーターもサッカーを愛し、
死に物狂いで勝負にきた結果、行き過ぎた行為があったのだと思いたいし、
南米諸国ではサッカー国際試合の結果次第で、死人がでるくらいのところもあるので、
国際試合ではこれだけ熱くて当然なのだけど、
その雰囲気やパワーに飲まれずペースを貫いた日本選手に心から拍手を送りたい!!
いろんな意味で良いゲームを見せてもらえたと思うし、勇気をもらえた!
本当にありがとう☆
信念 code1
「成功者となって敵をつくるか、失敗をして友をつくるか
2つに1つしかないんだよ」
ある、実在したイタリアマフィアのボスの残した言葉。
なぜかはわからないけど、すごく心に響いた言葉だった。
今日、「アメリカンギャングスター」という映画を見てきた。
映画の品評をしたいわけではないので、感想などはここでは書かないけど、
内容はアメリカで1970年前後に実在した麻薬王のお話。
ストーリーはもちろん今の僕らが暮らしている日常とはかけ離れたものだったけど、
なぜかただの映像の世界とは思えなかった。
何も感じず悪い事をしている者・・・
考えながら悪い事をしている者・・・
罪の重さも全て背負って悪い事をしている者・・・
ニセモノの正義を盾に偽善者ぶっている者・・・
命を懸けてホンモノの正義を貫く者・・・
いろんな男達がいろんな生き方をしている点は現代も一緒。
そして、「いつも自分が疑問に思っていること」を改めて考えさせられた。
≪本当の正義とは?本当の悪とは?≫
法律に触れるからといって必ず≪悪≫とは限らないものもある。
時と場合によれば嘘や偽りや殺人ですら≪正義≫になることもある。
結局は、仏の道の人でも殺人者でも、
その道を行ききった人はその人生に「誇りと信念」を持っている。
何が正しくて何が悪いかなんて誰にもわからないことだと思う。
だから、その答えを、自分なりの答えを見つけるために人は生きていくんだし、
そこに【何者にも曲げようのない自分の信念】があれば、
どんな道であってもそれでいいと思う。
例え、ずっと後ろ指をさされるような人生であっても、
自分が誇りを持って歩けていればそれでいい。
あのベートーベンだって、アインシュタインだって、奇人・変人と言われ、
ピカソにいたっては死ぬまで陽の目を見ることはなかった。
友も理解者も家族もいなかった偉人はたくさん存在した。
でも彼らはたった独りになっても、他の誰よりも【強い信念】を持っていたに違いないと思う。
「成功者となって敵をつくるか、失敗をして友をつくるか
2つに1つしかないんだよ」
僕は弱くて汚い人間だから、そこまで徹底した生き方はできないかもしれないけど、
少しでも自分なりに満足した人生をおくれるように頑張っていきたいと思う。
何でもこなせる力と、1つしかこなせない力 Vol 2
僕は中学時代に、
最近テレビでニュースになる「いじめ問題」よりすごいことをされたこともある。
でも、この時の自分について、
今となってはあれで良かったなと思っていることが1つだけある。
それは、言葉や力の暴力を受けた時にでも、
「自分は1人で相手は大勢でやってくるから、勝てない。」と、思わずに、
「自分の力が弱いから勝てないし、勝てないから誰も助けてくれない。」と、思っていたこと。
今までもこれからも、大人になって社会に出れば本当にいろんな形で自分の力が試される。
時には考えられないような不利な状況で闘わなくてはいけない場面もある。
でも、そんな時に「これなら誰にも負けない!」という力があれば、
状況を少しは有利に変えられるだろうし、自分に味方してくれる人も増えると思う。
かつての僕が求めていた?幅広く何でもそれなりにこなせる能力は、
一見有利に見えるがふとした時に、「本当は何一つできない諸刃の刃」にも変わる。
だから、たった1つでいいからこれだけは誰にも負けないという力をいつしか求めるようになっていた。
人の心は強くて優しくて、そして時に脆いものだから、
自分の都合の良い時に助けてと叫んでも、ウルトラマンみたいに来ちゃくれない。
自分なんてダメな人間だと嘆いている時にもらう優しさは、ただの哀れみや同情でしかない。
何かを成し遂げようと本気で頑張っている人にこそ、僕は支えてあげたいと思うし、
住む世界や状況が違えど、「仲間」だと心から思うことができる。
少年時代から思っていた、「自分は何をすべき人間なんだろう?」の答えを、
僕は今、音楽を通して見つけようとしている。
音楽をするために生まれてきたのではなく、
音楽と生活していくことによって自分が磨かれていき、少しでもマシな人間になれる、
そんなミュージシャンになれたらいいなぁ。
そして、いつか求めている力を手に入れた時に、
僕ははじめて誰かにほんとうの優しさを渡せるような気がする。
何でもこなせる力と、1つしかこなせない力 Vol 1
気付けばそれなりに何でもこなせていた。
小さい頃からスポーツが好きで、サッカーを中心に活発に動き回ってるような子だった。
また、新しい遊びを考えて皆でそれを実践したり、勉強もクラスでトップクラスの成績だった。
けど、基本的な性格は温厚で人見知りもしていたので、
スポーツを通じてとか、遊びを通じてとか、何かを通じて人付き合いをしていくのが好きだったかなぁ。
ここまで聞いただけだと、何でもできるちょっと嫌なやつに思われるかもしれないけど、
小学校の4,5年生の頃と、中学3年生の頃に今でいう『いじめ』みたいなものにあった。
何でもできている内は皆の人気者になれるんだけど、
少しでも勢いがなくなると、周りの見方がガラリと変わる。
「何でもできてすごい!」だった評価が、
「何でもできるからウザイ!」へと変わる。
今までついてきた人間もいなくなり、味方してくれた人間も次の強い者へと移っていく。
この時、5年生ながらに僕は人の心の怖さと脆さを知ったことを覚えている。
それから少し控えめに過ごすようになって、それなりに楽しく中学生活へと移っていたんだけど、
中学生ともなれば誰にもいろんな考え方が芽生え始める年頃で、
中2の終わりごろからまた周りの標的にされた。
この頃の僕は、スポーツと勉強を文武両道にこなしていたにも関わらずヤンチャな奴らともツルんでいるような良くも悪くも学校では存在感のあるやつの1人だった。
ところが、高校受験が迫るに従って何に1本化していいかわからなかった僕は、
自分の未来を決めかねていた。
元々、学歴社会には個人的に興味はなかったし、本気でスポーツで飯を食っていくという目標もなかった。
ただ、何らかの分野で絶対に名を挙げてやるという漠然とした夢を持ったやつだった。
そんな中、進路の違いにより友達も徐々にグループわけされていく中で、
自分だけがいろんなことを自由にこなし、いろんなやつらとツルんでいるのを、
良しとしない連中も多々いて、次第に僕はそれぞれのグループから省かれだした。
時には最近テレビでニュースになる「いじめ問題」よりすごいことをされたこともある。
何でもこなせる力と、1つしかこなせない力 Vol 2 へ
言う事聞いてくれない僕の舌 Vol,2
無事手術の終わった僕の舌、
ところがその後で思わぬ問題が発生した。
先生から、「しばらくは前よりも舌を動かしづらくなると思うよ。」
と、言われた。。
え?なんで? と、聞いたけど、
よく考えてみれば当たり前のことで、
今まで使えてなかった部分が、余計な筋を切ったことで動けるようにはなったけど、
これまで支えていた部分もなくなったわけだから、動かし方がわからないのも当然。
舌にどう命令していいのかわからないのでした。泣
そんなこんながあったのが、約2年ほど前・・・
それから、舌のストレッチを繰り返し、でもうまく発音がいかないので、
諦めたり、投げ出したり、これじゃいかん!とまた向き合いはじめたり(笑)、
そして、うまくいくようになってきたかなぁ〜と思うと、
なかなか言う事を聞いてくれなかったり・・・
で、去年の秋過ぎくらいに、
「このままやとずっと堂々巡りかなぁ」 と思いはじめたので、
根本的に舌のことを研究しようと思いだし、
まず、今までの発音時の舌の動きを捨てることに!
それでも、急には何か発見があったり、うまくいくわけもなく、
その間いろいろな別の練習や普段の生活、仕事時にもさりげにいろんな意識をして、
思いついたアイディアを試したり、練習したりしてみるけど、
何かわかりそうで、わからない、の繰り返し・・・
そんな時に、先月の終わりのレッスンで、『声の振動』というものを教えてもらった。
これはまた舌とは関係のない別の問題だけど、
この時に自分なりにも思ったのが、
1、空気をつくり&送る部分 と
2、音を作り出す部分 と
3、その音を形にする部分 は、
異なる部分でやるんだなぁ〜という再確認!
これが今までわかっていたつもりで、そこまで意識できていなかったかもしれない。
つまり、お腹で空気は送れても、
口(舌、口腔内)で、2の音をつくって、3の形にするというのもやっていたような気がする。
この、2の音をつくるという部分は本来、口先ではなくノドの声帯で以下で行うものだ!
そう、再確認して、
口先・舌では音の形をつくるだけ!
その元になる音自体をつくるのは声帯以下!
そう、極力意識しながら発音・発声してみると、
比較的スムーズにいくことがわかった。
というよりも、舌で形をつくるわけだから以前にもまして細かな動きが求められてくるので、
舌を動かさざるをえなくなる!
自由に発音がキレイに発声できる人からみたら、
「何を意味のわからん難しいことゆっとんねん!笑」
って、おもうかもしれんけど、
ここまで少しずつでもわかってきたのは自分なりにはすごい進歩で、
成長だとおもう!!
最後に、
僕はノドも舌も身体もボーカリスト向きではないものだった。
それが、これまでの何も考えずに身体を使ってきた自分を否定し続け、
少しずつ変わっていくたびに、音楽の知識や技術だけでなく、
人間的にも成長していくように感じる。
だから、はじめの内は、
「なんで俺はことごとくボーカリスト向きじゃないねん!」
って、イラついたこともあったけど、
変わり続けられることがわかった今では、逆に不都合がいっぱいあったからこそ、
それを克服できた時に付加価値がいっぱいついてくるのかなぁと思うことができる。
こんなんはただのキレイごとかもしれんし、
元から何でもできるにこしたことはないんかもしれんけど、
自分はこの成長ペースに満足しているし、これでよかったと思ってる^^
もちろん、これまでもこれからも、うまくいかんくてイライラすることもあるやろうけど、
こんな自分の身体は世界中探しても2つとない大切なものやから、
ちゃんと自分がこの身体と1番多く向き合ってあげれたらなぁ〜と、
思ったそんなこんなな今日この頃でしたぁ〜笑
長々とした意味わからん文章でごめんね=
それではまたぁ〜バイチャ(^^)
どないしよかなぁ〜(××)
どないしよかなぁ〜(××)
最近、勝手に独り言のように出てくる言葉・・・笑
ここんところ数日間、何をしていいのかさっぱりわからなくなりかけてた。
やりたいことはいっぱいあるし、やらなきゃいけないこともいっぱいわかってる。
でも、受験勉強のやりはじめのように何から手をつければいいのかわからない感じで、
まとめきれないまま考えてはとりあえずトレーニングしたり、
また考えてはまとまらないままとりあえず勉強・練習したり、
気分転換しようと思って何も考えずに遊んでみたりして・・・
でも、どうにもこうにもしっくりこないまま何日か時間が過ぎてった。
そんなこんなで数日が経って、今日、
以前に録音していたレッスンMDをランダムに聞きなおしてみたら、
少し光がさしてきたような気がした。
今の自分に必要なもの、足りないもの、勉強したいもの、
それらはわかっているし、できる環境もあるのになぜうまくいかないか?
それは、「何を主体にして何を生かすために何をするか」が明確でなかったから。
例えば、ボーカルを主体にすれば自ずとトレーニングの仕方も変わってくるし、
食事も、仕事も、曲作りも、遊びも、このブログで書きたいことも変わってくる。
主体にするのは何でもいいんだけど、何を生かすかを明確にすることで、
日々の経過も結果もいろいろ変わってくるような気がする。
いつかはやらなきゃなと思っていることがあったとしても、
今、主体にしているものを中心に考えた時に必要でなければ、
そんなもん思い切ってほっといてやる!
逆に、今はやりたくないものでも、必要であれば頑張ってやらなきゃいけない!
あ〜なんかそんな風に考えるとちょっとスッキリしてきた^^
「ごぼう抜き」
「ごぼう抜き」って言葉、よく耳にしますよね。
僕もサッカーをやっていた頃から一気に大勢をドリブルで抜き去った時は、
この表現を使っていた記憶があります。
でも、そもそもなんで「ごぼう抜き」っていうのか謎でした。
その「ごぼう」ってあの野菜の「牛蒡」のこと?とか考えてみたり。笑
そんな時、たまたまネットで検索できたので以下のような解説文でした。
-------------「ごぼう抜き」の由来---------------------
「ごぼうを抜く」原義は、畑に多数のごぼうがぎっしりと生えていて、
ごぼうを抜くとき一度にたくさんのごぼうをつかんだのでは抜きにくいので、
一本一本抜いていくという方法が取られます。
その抜き方は、上の方向に一直線に引っ張るのです。
○デモの座り込みの中から、一人ひとり無理矢理連れ去り座り込みを崩す場合、
○人事異動で無理矢理目標の人物をひきぬくごぼう抜き人事、
○釣りで針にかかった魚を、一気に引き上げること
これらはみなごぼう抜きといいます。
そして異質にも、競争などで数人を一気に抜き去ることにも使われるようになったのです。
最初は誤用といわれましたが、「一直線の動き」「短時間に一気になされる」点で、
ごぼうを抜くときとの共通点が見いだされ教養人も使うようになり、
今では国語辞典にもこの意味が掲載されるようになりました。
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なるほどねぇ〜ってひとりで関心してました。
でも人生の中には、なっかなか「ごぼう抜き」できないものもありますよね(××)
僕がいつも「ごぼう抜き」してやりたいと狙っているのにできないもの・・・
それは自分自身です。
自分の目標や夢や構想を実現するための「理想の自分」というのが、
いつも自分の目の前にたくさんぶら下がってやがります。
それらを一気に抜き去りたくてもやつらはなかなか抜かせてくれません。笑
追いつきかけたかと思うとまた少し離れ、決して影をも踏ませてくれません。泣
(あ、もしかしてそれって俺だけ?笑)
でも、ねばっこく追い詰めていれば、きっとやつらも気を抜く時が来るかもしれないので、
「ごぼう抜き」とまではいかなくても、
いつかは確実に自分の目標の前に出れる人間になってやる!^^





